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明治9年3月 |
初代今西政助、現在の夜久野町より大阪に出、修行の後京都市の綾小路富小路にて
「今西政助商店」設立 |
明治36年 |
2代目今西民造、初代政助より世帯を譲られる。
民造氏、大阪の開進堂という飴屋より球断機を譲られ また、「あっぷる」の研究開発を行い、製造に成功。 |
大正時代 |
「あっぷる」が大ヒットまた酸や香料を使用した、型ロールによる「どろっぷ」の製造を開始。
全国の卸商社と契約し、生産量の増加と共に地釜製法を残しつつ、製造ラインの機械化を図る。 |
昭和3年3月 |
合名会社今西製菓部を設立。当時は原料の卸部もあり、砂糖や水飴の代理店業務も行っていた。
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戦争時代 |
戦争時代は、陸軍に軍用商品を納め、混乱の時代を乗り切る。 |
昭和22年 |
民造病死に伴い今西政造が社長就任。
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昭和29年4月 |
京都にて「第13回全国菓子大博覧会」開催。その際、政造、実行会長となり、盛会に行われる。
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昭和30年 |
戦前製造を行っていた棒切り飴を「初にしき」として、再度売り出す。
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昭和31年6月 |
今西製菓株式会社設立
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昭和33年 |
型ロールを使用し、「玉ドロップ」製造開始。以降も型ロールを新造し新製品を生産。 |
昭和41年 |
同じく型ロールを使用し、角ペパーミント他、フルーツ味の生産開始。
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昭和43年 |
以前より使用していた球断機を改良し、小粒の「手まり玉」の販売を開始。
以降小粒のアイテムを増やす。 |
昭和50年2月 |
政造死去に伴い 今西康博社長就任。
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昭和52年 |
当時のファッションキャンディーブームにより瓶入り飴の販売を開始。
「ダイヤ角瓶」「カラー角瓶」など |
昭和59年 |
同場所にて新工場の建設。
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平成5年 |
京飴 綾小路 ブランドを商標登録
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平成7年 |
「まっかどん瓶」入り飴の販売開始。好評を得る。 |
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平成8年 |
フルーツ味の水飴「とろあめ」の販売開始。 |
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平成10年 |
「浪漫瓶」入り飴の販売開始。 |
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平成11年 |
当時、話題になりつつあった、「京野菜」をいちはやく使用した
「京野菜のどあめ」の製造を開始。以降種類を拡充。 |
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平成18年 |
オリジナル瓶入りあめ
まんまる瓶シリーズ発売
好評を得る |
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平成20年 |
京野菜かりんとう発売開始 |
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